私だって夫を今も愛している
夫とは、十数年前に死別しました。
それで、大切な方を亡くされた方のブログなどを、たまーに読むことがあるのです。
亡くされてから数年経った今も、立ち直れていない方もいます。
悲しみに浸っていたい時期があるのは当然だし、心ゆくまで悲しみに浸ることが、次に進むためのバネになることもあると思います。
また、亡くなられた理由とかシチュエーションも千差万別で、一概に「大切な人を亡くした」という同じ言葉でくくれる同じ悲しみだとは言い切れないな、とも思います。
けれど…悲しみから立ち直れないこと=愛の深さ、という意味のことを書かれているのを見ると、必ずしもそうじゃないよ…と言いたくなったりします。
もちろん、愛しているという前提があるからこそ、その人にもう会えないとなればとてつもない悲しみに襲われるので、そもそも愛がなかったら悲しみもないわけですけど…。
…私だって悲しかった。
朝、目が覚めると夫の不在についてしばし考えをめぐらせました。
手に触れられる、目に見える夫の姿がもうどこにも存在しないということが、何故なんだろう何故なんだろう?…と、絶対に解けない謎みたいに思えました。
だけど、よく言いますよね。
そんなに泣いたら亡くなった人が成仏できない、って。
この言葉は、外側から、早く立ち直りなさい、という意味で押しつけがましく言われると反発したくなるものがあります。
ですが、無視できない言葉だと私は思います。夫の魂は永遠に生き続けるものと信じていますから。
そうであるなら私は、夫の魂を迷わせるようなことをしてはいけない、自分がいつまでも悲しむことが夫の足を引っ張ることになるのであれば、悲しみから抜けなくてはいけない、と真面目にそう考えました。
だから、自分の悲しみを夫に投げかけることなく自分で引き受けよう、夫に対しては感謝の気持ちだけを送り続けよう。自分の喪失感は誰のものでもない、誰を恨むこともない、それをどう昇華させるかは自分一人のテーマであって、この世のシステムから抜けて行こうとしている夫に、この重さを背負わせてはいけない。
…そう思いました。
そして、そうはっきりと心を決めた瞬間から、悲しみの重さ苦しさは私の体からもドンドン抜けて行きました。
同時に夫の魂もふわふわと軽くなって高い高いところへ上ってゆくように感じました。
私の場合は、夫を愛しているから、悲しみから抜ける決心をし、実際に悲しみから抜けられた、と、思っています。
今も、悩みをかかえている時など(いつもです・笑)、こんな時トーチャンがいてくれたらなあ、なんて思うことはあります。
けれど、それはこちら側の都合だということは自覚しています。
夫にはこちらのことは何も思いわずらうことなく、天国でふわふわ楽しくしていてくれたらいいなあ、というのがホントの私の本心で、そうであれば、私もやはり幸せなのです。
***************************************************
今日は、昨日思っていたお仕事募集のところへ電話しようと思っていましたが、結局躊躇して出来ませんでした。
時間帯が私の希望とは違っているのがひっかかり、、、もう少し探そ!…という気になりました。
(* ´ ▽ ` *)また明日~



☆読んでいただき、ありがとうございました。すずらんより。
それで、大切な方を亡くされた方のブログなどを、たまーに読むことがあるのです。
亡くされてから数年経った今も、立ち直れていない方もいます。
悲しみに浸っていたい時期があるのは当然だし、心ゆくまで悲しみに浸ることが、次に進むためのバネになることもあると思います。
また、亡くなられた理由とかシチュエーションも千差万別で、一概に「大切な人を亡くした」という同じ言葉でくくれる同じ悲しみだとは言い切れないな、とも思います。
けれど…悲しみから立ち直れないこと=愛の深さ、という意味のことを書かれているのを見ると、必ずしもそうじゃないよ…と言いたくなったりします。
もちろん、愛しているという前提があるからこそ、その人にもう会えないとなればとてつもない悲しみに襲われるので、そもそも愛がなかったら悲しみもないわけですけど…。
…私だって悲しかった。
朝、目が覚めると夫の不在についてしばし考えをめぐらせました。
手に触れられる、目に見える夫の姿がもうどこにも存在しないということが、何故なんだろう何故なんだろう?…と、絶対に解けない謎みたいに思えました。
だけど、よく言いますよね。
そんなに泣いたら亡くなった人が成仏できない、って。
この言葉は、外側から、早く立ち直りなさい、という意味で押しつけがましく言われると反発したくなるものがあります。
ですが、無視できない言葉だと私は思います。夫の魂は永遠に生き続けるものと信じていますから。
そうであるなら私は、夫の魂を迷わせるようなことをしてはいけない、自分がいつまでも悲しむことが夫の足を引っ張ることになるのであれば、悲しみから抜けなくてはいけない、と真面目にそう考えました。
だから、自分の悲しみを夫に投げかけることなく自分で引き受けよう、夫に対しては感謝の気持ちだけを送り続けよう。自分の喪失感は誰のものでもない、誰を恨むこともない、それをどう昇華させるかは自分一人のテーマであって、この世のシステムから抜けて行こうとしている夫に、この重さを背負わせてはいけない。
…そう思いました。
そして、そうはっきりと心を決めた瞬間から、悲しみの重さ苦しさは私の体からもドンドン抜けて行きました。
同時に夫の魂もふわふわと軽くなって高い高いところへ上ってゆくように感じました。
私の場合は、夫を愛しているから、悲しみから抜ける決心をし、実際に悲しみから抜けられた、と、思っています。
今も、悩みをかかえている時など(いつもです・笑)、こんな時トーチャンがいてくれたらなあ、なんて思うことはあります。
けれど、それはこちら側の都合だということは自覚しています。
夫にはこちらのことは何も思いわずらうことなく、天国でふわふわ楽しくしていてくれたらいいなあ、というのがホントの私の本心で、そうであれば、私もやはり幸せなのです。
***************************************************
今日は、昨日思っていたお仕事募集のところへ電話しようと思っていましたが、結局躊躇して出来ませんでした。
時間帯が私の希望とは違っているのがひっかかり、、、もう少し探そ!…という気になりました。
(* ´ ▽ ` *)また明日~



☆読んでいただき、ありがとうございました。すずらんより。
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